仙台家庭裁判所古川支部 昭和41年(家)796号 審判 1966年11月04日
申立人 浜さだ子(仮名)
相手方 渡辺康徳(仮名)
事件本人 渡辺公雄(仮名)
主文
未成年者渡辺公雄の親権者を相手方から申立人に変更する。
理由
申立人と相手方の戸籍謄抄本、申立人、神田典子、海野ミカおよび吉野良行の各審問の結果並びにその他の本件証拠資料によれば次の事実が認められる。
申立人は、昭和三八年五月相手方と結婚したが、相手方が他に女性関係を作って申立人をかえりみなかつたために、離婚を決意して仙台家庭裁判所に調停を申立て、数回の調停期日を経て昭和四〇年一〇月五日、相手方との間に、事件本人公雄の親権者を相手方とし、相手方から申立人に慰藉料金一三万円を支払うこととして離婚の調停が成立したのであるが、これに先立つ同年七月頃、相手方は、事件本人の処置につき、隣家の神田典子に対し、「離婚の条件が不利になっては困るので、近く生まれる子供の親権者に自分がなってこれを引取ることに話を決めるつもりだが、実際は引取ってみても育てる人手もないので、他にくれてやりたいから貰い手を見つけてもらいたい」旨依頼し、これに基き、神田らにおいて、子宝に恵まれぬために養子を欲していた吉野良行夫妻に右の話を通じ、かくして、申立人が分娩して約四週間後に連れて来た事件本人公雄(同年八月二四日生)を、神田において、相手方の承諾のもとに同年九月二二日頃、右吉野方に連れて行き同人夫妻にこれを引渡したもので、爾来事件本人は吉野夫妻のもとで、同人らの事実上の養子として監護養育されている。
そして右養子縁組の届出をする件については、吉野から催促したのに対し、相手方が「申立人に対する慰藉料の支払がすんでないので、家裁へも出頭しにくいからそれがすむまで待ってほしい」とのことであったので、吉野夫妻としては、右届出手続に早く応じてもらいたい気持から、昭和四一年一月、神田を通じて相手方に対し、事件本人の出産時の費用や相手方のいう慰藉料支払の足しにしてもらいたいとの趣旨を伝えて金三万円を手渡し、相手方もこれをそのまま受取ったというようないきさつを経たうえ、吉野夫妻は同年四月末、当裁判所に対し事件本人を養子とすることの許可の申立をした。しかるに相手方は、右の前言に反し、当裁判所からの照会に対して、親権者として右養子縁組は承諾できない旨の意向を示し、かえって同年七月、吉野夫妻を相手に事件本人の引渡を求める調停を当裁判所に申立てたりしたものの、指定された二回の調停期日にいずれも無断で出頭しなかったために右手続も打切られたのであるが、相手方は、右調停期日を控えて神田に対し、自ら或いは母親を通じ、「事件本人の籍はやるから、それと交換条件に二〇万円貸してくれ」「証書を差入れるから三〇万円都合してくれ」などと金員を要求したりもした。
右のような経緯のうちに、神田からの連絡で事情を知った申立人から、その後本件親権者変更の申立がなされたのであるが、申立人としては、相手方と離婚した後いまだ独身で、現在では事件本人を自ら引取ってもよいという気持の余裕を取戻してはいるものの、本件申立の真意は、いずれにせよ事件本人を不身持な相手方に今更引渡すべきでなく、むしろ現状のまま吉野夫妻の養子として育てられるのが事件本人の最も幸福な途であるから、この際自分が親権者となって、事件本人のために正式に吉野夫妻と養子縁組の手続を遂げたいものと念願してのことである。
相手方は、女性関係をその後も重ねている様子で身持が定かでなく、他方吉野夫妻は、夫の父と事件本人との四人家族で堅実円満な家庭生活を営んでおり、事件本人も、引取られてすでに一年余を経、一家の情愛を集めて幸福に成育している。
以上のような事実を認めることができる。そして右事実によれば、事件本人が、右のような相手方のもとででなく、申立人も希望しているように現在のまま吉野夫妻のもとで監護養育されるのが事件本人の幸福への途であると考えられるので、事件本人のために右夫妻との養子縁組手続を遂げるべく念願している申立人をこの際事件本人の親権者とすることが、事件本人の利益のために必要であるものと認められる。
よって本件申立を理由あるものと認め主文のとおり審判する。
(家事審判官 桜井敏雄)